松江塾ママブロガーあこの闘争

毎日のたたかいの記録

子供時代の読書は、いかにして。①

なんだか、けっこう連作で記事を書いているママさんが多いので、私もやってみることにする。

 

私自身のことをいえば、本を読むのは、昔からとっても好きだった。

 

親によると、3歳のころから一人で飽きずに読書していたらしい。

 

はっきりと記憶にあるのは、小学生に上がってからだ。

 

小学校2年生の時はドリトル先生シリーズとか、クレヨン王国シリーズとか、モモとか、イッパイアッテナとか、ホッツェンプロッツとか、そのくらいのボリュームの本を読むようになっていた。

 

最初の、ページをめくり始めたころの、

 

よし、今からこの世界に入っていくんだ、というあの感覚。

 

おでこの前あたりがぼうっと温かくなって、ぐんぐん自分を集中させていく。

 

あんまり入ってしまうと、頭の芯がしびれたようになって、

 

やりすぎた!

 

と思う瞬間も覚えている。

 

心地よい文章はすごく楽に没入できるし、入っていきにくい文体の時は、自分の脳みそをこねくり回すような感じで読んだ。

 

外国の児童文学の時は、聞いたことのない通貨や風習が出てきた。

 

クローナっていうお金、別のあの本でも出てきたな、とか、

 

ストーリーとはまた別のところで面白くて、

 

世界は広いのだ、

 

と思った。

 

昔の日本の話の時は、各地の方言のような言葉、初めて目にする生活道具、今はもうなくなった風習などが、面白くてしかたがなかった。

 

本当に、ページをめくるだけで、自分がいろいろな世界に入っていける。

 

本を読むのはサイコーだ、と思っていた。

 

同じ話でも訳者が違うと話の雰囲気が違うことにも気づいて、同じ本を違う新訳で読んだりもしていた。

 

図書室では三冊まで借りれたので、毎日行った。

 

借りる本はどれも、そこそこのボリュームなので、すぐに読み終わらない。

 

というか、本の分厚さで選んでいた記憶もある。

 

なぜなら本が長い方が、没入する時間、つまり、楽しい時間が長く続くのだ。

 

一冊読破するのに、一時間から、長くてニ時間かかかるので、学校の帰り道から読み始めないと、寝るまでに三冊読み終わらない。

 

基本的に、友だちとの遊びよりも読書優先で、ランドセルを背負って歩きながら読んだ。

 

今は全て舗装されてしまっているけれど、当時はまだあぜ道も多く、田んぼや畑の間の、土を盛り上げただけの通学路も残っていた。

 

たんぽぽや、シロツメクサや、レンゲソウが咲くあぜ道を、本を読みながら歩いた。

 

没入しながら読むので、田んぼに時々落ちたし、川にも落ちた。

 

続く