なんだか、けっこう連作で記事を書いているママさんが多いので、私もやってみることにする。
私自身のことをいえば、本を読むのは、昔からとっても好きだった。
親によると、3歳のころから一人で飽きずに読書していたらしい。
はっきりと記憶にあるのは、小学生に上がってからだ。
小学校2年生の時はドリトル先生シリーズとか、クレヨン王国シリーズとか、モモとか、イッパイアッテナとか、ホッツェンプロッツとか、そのくらいのボリュームの本を読むようになっていた。
最初の、ページをめくり始めたころの、
よし、今からこの世界に入っていくんだ、というあの感覚。
おでこの前あたりがぼうっと温かくなって、ぐんぐん自分を集中させていく。
あんまり入ってしまうと、頭の芯がしびれたようになって、
やりすぎた!
と思う瞬間も覚えている。
心地よい文章はすごく楽に没入できるし、入っていきにくい文体の時は、自分の脳みそをこねくり回すような感じで読んだ。
外国の児童文学の時は、聞いたことのない通貨や風習が出てきた。
クローナっていうお金、別のあの本でも出てきたな、とか、
ストーリーとはまた別のところで面白くて、
世界は広いのだ、
と思った。
昔の日本の話の時は、各地の方言のような言葉、初めて目にする生活道具、今はもうなくなった風習などが、面白くてしかたがなかった。
本当に、ページをめくるだけで、自分がいろいろな世界に入っていける。
本を読むのはサイコーだ、と思っていた。
同じ話でも訳者が違うと話の雰囲気が違うことにも気づいて、同じ本を違う新訳で読んだりもしていた。
図書室では三冊まで借りれたので、毎日行った。
借りる本はどれも、そこそこのボリュームなので、すぐに読み終わらない。
というか、本の分厚さで選んでいた記憶もある。
なぜなら本が長い方が、没入する時間、つまり、楽しい時間が長く続くのだ。
一冊読破するのに、一時間から、長くてニ時間かかかるので、学校の帰り道から読み始めないと、寝るまでに三冊読み終わらない。
基本的に、友だちとの遊びよりも読書優先で、ランドセルを背負って歩きながら読んだ。
今は全て舗装されてしまっているけれど、当時はまだあぜ道も多く、田んぼや畑の間の、土を盛り上げただけの通学路も残っていた。
たんぽぽや、シロツメクサや、レンゲソウが咲くあぜ道を、本を読みながら歩いた。
没入しながら読むので、田んぼに時々落ちたし、川にも落ちた。
続く