発達障害当事者が書いた本が出版されている。
そういう本を買って一冊読んだ。まだ一冊ですが、私にとって大きかった。
その本の著者は自身がADHDだそうだ。
著者は、勉強は何とかできて良い大学に入れた。誰もが知る大手企業に採用され入社したけど、仕事ができなくて辞めた。
その後、起業するも失敗し鬱になるという経験を持つ人だった。
ADHDあるあるや、具体的な対策などが書いてあるとレビューにあったので買ってみた。
私は長女小3がADHDの気があると思っていて、今まではただ彼女のそういうところにイライラしていた。
何とか直さなくてはいけない、矯正しなくてはいけないと思ってウルサクきつくやってきた。
たとえば、服を片付けられないとか、服だけじゃなくて身の回りのありとあらゆるものが片付けられないとか、学校のプリントは全てランドセルで化石になってしまうとか、(きのう半月以上分のプリントが層になっていたのを夫が発掘していた)、何かやっていてもどんどん意識が別に移りかわって前にやっていたことを瞬間で忘れるとか、何を一番大事に考えるかが判断できないとか、どの順番で勉強するとかメタ的に考えられないとか、ひとつの事が終わらせられないので大人に小言を言われてパニックになるとか、とにかくそういうもの全部、
注意して何かを言言ったところで、もうこれ以上何も良くならないし変わらない。
と、やっと受け入れることができた。
生まれてからこの方、実母からも、保育園からも、習い事の先生からも、
この子ができないのは育てかたや環境じゃないか、
と遠回しに言われたり、
私自身もそう思ってきたせいで、とにかく厳しくなってしまった。
本当に悪いけど、彼女の自己肯定感なんて削られまくりで劣等感のかたまりだと思う。
自己肯定感を育てましょうなんて、よく見る内容なんかと正反対の事ばかり起きていた。
直していかなければいけない、矯正してできるようにさせなければいけない、とただそれだけ思ってやってきた。
はっきり言って、私は最悪の子育てをやってきたと思う。
言い訳するなら私は私で必死だったです。
でも、彼女、ほんとにできないの 。
言ってる私も自分の首を締めているように思い始めて、、、、でも彼女は私なんかよりもっと辛い思いをしてきたと思うし、それは現在進行形だ。
私のこと、ほんとに嫌いかもなって思う。
ブログに、実はADHDじゃないか、と書いたことがある。
いままでモヤモヤと思ってきたこと、認めたくなかったことを初めて言語化したのは大きなきっかけだった。
実際、記事にしたあと、今の状態が正しくないのでは?と逡巡する時間が増えた。
そして、そう思うようになったタイミングで例の本を読むと、やっぱりそうなんだね、と腑に落ちることが多かった。
著者はカフェで仕事なんて絶対できないらしい。
うちの長女小3も、兄弟たちが在宅している時に勉強なんてまず進まない。
見えないようにしたり、音もあんまり聞こえないようにしても無理。
あれは、どんなにやっても無理な事だったんだなー、と。
著者はものが散らかって生活に支障をきたしてしまうらしい。
長女小3も、ひとりでいればあっという間にそうなるだろう。
だから片付け方を教える、のじゃなくて、片付けではない、別の解決策を用意しなければいけないらしい。
脳の機能的に、片付けは「頑張ればできるようになるもの」ではなく、「そもそもできないから、そのための対策をしておく」のが正解らしい。
いつかは親元を離れるんだもの、できない片付けをイライラしながら教えてやらせてもできないままだよね。
一人で生きていく前にそういう対策に慣れていった方がいいよね。
とにかく、彼女のあれは治らないし、あれが彼女。
9年一緒に過ごしてきて、やっとそう思っているのです。
遅すぎるでしょう、と言われたら本当にお恥ずかしい限りなのですが、私もいままで全くできなかったんです。
実の娘のことを受け入れることができなかった。
三世代旅行の前後から、やっとそのように飲み込むことができた。
あれは治らないし、あれが彼女なんだ。