子供が生まれて、最近まで、
子どもの勉強は、家庭で見てあげられる範囲でやってこう、塾はナシで!
と思っていた私。
何より自分の半生を振り返った時、自学で大学合格までやってきていたので、
勉強の習慣がちゃんとあれば、大丈夫でしょ。
と思っていた。
でも、子育てが進むにつれて、当たり前なのですが、
自分と違いすぎる人たち。
こういう時、こうすればいいじゃん、
とか、
この方がいいと思うよ、
と言ったところで、
そもそも声が聞こえてなかったり、聞きたくないという思考になっていたりする。
うーん、
子どもに何かを取り組ませるのって、難しいなあ。。。
たとえば、算数は、この単元はこのくらいやれば習得できるでしょう、と思っていても、
あれ、何回繰り返しても、入っていかんな、、、?
漢字も、間違えたところチェックして、その後ちょいちょい反復させても、
えー、また間違ってる。なぜじゃ?
文章読解も、国語の答えは、問題を読めばわかる、としか思ってない私には、理解不能なミスを連発。
つまり、子どもは問題読んでも理解不能ってこと?
それ以前に、
さあ、今からプリントやりましょう、って時に、目の前のプリントに集中できていない感じ。
鉛筆持ったと思ったら床に落とし、
消しゴム使いたい時には絶対手の届くところにない。
目線はあっち向いたりこっち向いたり。
他の兄弟がいない時に、部屋をある程度静かにできる時に取り組ませているけど、どうにも目がキョロキョロする。
もちろん、一人でも兄弟が部屋にいたら、もっとひどい。
なんだろう、これは、私がダメになりそうだ。
夫もそこまで協力的じゃないから、私が追い詰められてきた。
やることはギュッと集中して早く終わらせて、楽しく遊んだり出かけたり自由に過ごしてほしいと思っている。
なのに、ずっとキーキーゆってる私。
せっかく自然豊かな地域に、いろいろな便利なことと引き換えに選択して住んでいるというのに、
全然、その豊かさを享受できていない。
子どもにも、もっと自然の中で遊んでもらいたい。
何より、私自身がもっと遊びにいきたい、、、!!!
もう嫌だーー!!!
別の視点で一緒のものを見てくれる人がいないと、おかしくなりそうだ。
長女だけの家庭学習の管理だった毎日だったが、長男が就学すると、管理が2倍になる。
もう私だけでは回らないはず。
夫との仲も、家庭学習をめぐって、もっと悪化してく予感しかない。
と思うようになった。
一人で子どもの学習を見れると思っていたけど、
それは、子どものレスポンスや集中力、理解力、
それまでに体に蓄積された言葉の数が私と同じような成長過程だった場合に限る、ということなんだ。
学習管理が二人になる上、低学年でこれなら、もう何かの力を借りるしかない。
そして、松江塾の門を叩いたのだった。
入塾前に真島先生に直接相談したのが、小学校低学年長女の自宅学習の内容について。
うちでは、こうこうこんなことをさせています、と。
すると、真島先生が、タイトルのようにお返事を下さった。
「順番を工夫して与えてあげると良いですね。お菓子を食べながらなど、楽しい時間だと思えるように。」
その後、ボネ子さんやその他ママさん達のブログで、徐々に私の思考も変わり、理解できるようになった今、
この言葉には、
ほんと、その通りですよね!
としか思えないのだけど、
真島先生からそんなメッセージが返って来た時、
お、お、お菓子ーーーー!??!
勉強しながらですかーーーー!??!
って、びっくりして顔が上向いちゃったのです。
自分の通ってきた道が、曲がりなりにも一応なんとかなっているのは、それは自分が自分自身だったからで、
自分の常識や、自分の当たり前を、子どもという別人格がなぞっても、同じ結果が出るわけじゃない。
そんなこと、考えなくてもわかることなのに
なんで自分と同じようにしたらOK、とか思ってたんだろう。
真島先生とこのやりとりをしたのは、今年の1月24日だった!
そこから7ヶ月。
子どもと接する自分を、もっともっと子ども寄りにしたいと思っている今日なのです。
先生は繰り返し、
「子どもを観察して。」
と言ってるのに
そもそも私、ほんとにそこの意味わかってないんだな、と。
もっともっと、彼らが楽しくできるように取り組めるように、
観察して観察して観察して、お手伝いして、楽しくプロデュースして、、、、、、
よし、夏休み最終週、がんばろ!